大学時代はサークル活動とアルバイトに明けくれていました。サークル活動は、イギリスで始まった活動を賀川豊彦が日本に広めたセツルメントというサークルに入っていました。京都16大学の学生セツルメントの連合会も活発に活動していたこともあり、もはや趣味的活動の範囲を超えて、半分仕事か?というぐらいサークルボックスに通っていました。

4年間、京都で下宿をしていましたが、間借りながらギターやオーディオも持って行っていました。音楽はオールマンブラザーズバンドなどのサザンロックや、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビスなどのジャズをよく聞いていました。サークルの連合会のミーティングは京大のサークルボックスで開かれていましたが、真下が軽音楽部のボックスで、いつもオールマンブラザーズバンドのコピーを演奏しているのを聞くのも楽しみのひとつでした。

高校時代につかこうへい事務所のストリッパー物語を観た影響で、京都のアングラ劇団の芝居にもよく行きました。いくつかの劇団が京大の西部講堂や鴨川の三角州にテントを張るなどして興行していましたが、なかでも演劇行動74という劇団の芝居は欠かさずチェックしていました。理屈抜きに感性に響いてくる舞台でした。つかこうへいの芝居はなかなか観る機会に恵まれず、その後つかこうへい事務所の舞台として観たのは「広島に原爆を落とす日」だけとなりました。