小学生の頃、鳩を飼っていたことを思いだしました。ブームがあったと思うのですが、材木を買ってきて自分で鳩小屋を作り、何羽かの鳩を飼っていました。しかしある日、離した鳩が他の群れについて行ったのか小屋に戻ってこず、その後、小学校の修学旅行から帰ってくると庭にプレハブの子供部屋を作るからと、私が作った鳩小屋が壊されていてショックを受けたことを覚えています。
日曜大工も鳩小屋に始まって、中学生になって自分の勉強机を作ったり、高校生になってオーディオラックを作るなどしていました。
中学から高校時代にかけては、趣味は音楽関係に移っていきました。父のガットギターが家にありましたが、自分のフォークギターを買ってから練習に力が入りました。最初に練習したのはイルカのなごり雪でした。
また、当時ブームだったフォークソングも聴き始め、どちらかというと中山ラビ、山崎ハコ、遠藤賢治などマイナーな歌手の曲が好きでした。他にも上田正樹とサウス・トゥー・サウスや憂歌団なども聞いていましたが、一番はまっていたのが泉谷しげるで、レコードは一通り持っていたと思います。高校時代に大阪で開かれた泉谷のコンサートにもほとんど行ったのではないかと思います。高校3年生の時だったと思いますが、東京で「神田共立講堂最後の日」という朝から夜まで12時間公演という泉谷のコンサートがあり、夜行バスではるばる聴きに行きました。出演者も豪華で、岡林信康やブルースハープのウィーピングハープ妹尾、ジョン・デビット・サウザーらの他、川谷拓三の出演やつかこうへい事務所のストリッパー物語の公演まである盛りだくさんなコンサートでした。
当時はオーディオブームでもあり、レコードプレーヤー、アンプ、ヘッドフォンからスタートして、カセットデッキやチューナー、スピーカーなどを買い足していきました。オーディオに凝るには軍資金がないので、パーティクルボードという木材片を樹脂で固めた、とにかく重くて硬い板でオーディオラックを作ったり、レコードプレーヤーにインシュレーターつけ、後は長岡鉄男などのオーディオ評論を読んでうさを晴らしていました。
音楽以外では、通っていた高校が大阪で一番高い山、金剛山に近かったため、同級生たちと週末によく山登りに行っていました。金剛山には本当によく登ったと思います。初日の出を金剛山で見ようと、同級生たちと大晦日にテントを担いで登ったこともありました。寒さ対策に一升瓶を担いでいくなど荷物が多いため夜中に2往復し、暗い中、雪あかりを頼りに少し怖い思いをしたのを覚えています。未明に東の方角に向かって初日の出を待っていると、他の登山者も後ろに集まってきました。しかし、空の様子がどうもおかしいとコンパスを確かめると方角が違っており、その場から一人ずつこそこそと立ち去って、本当の東向きに移動したことも懐かしい思い出です。